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プログラマとSE側とエンドユーザの橋渡しをしてます。 「それって結局どういうこと?」。 とにかく難しいことをやさしく考えるのが好きです。
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ちょっと更新サボってました。

今日は、ビジネスにまつわる話です。
みなさんは、取引先がミスをした時、どう対応しますか? 
ミスの度合いにもよると思いますが、
相手のミスで自分自身も上司から大目玉をくらうレベルと仮定してください。

まずは「怒る」「文句を言う」というのが普通の選択だと思いますが、
世の中には、交渉の上手な人たちがいて、
まあ、これが見事に相手のミスというピンチをいなしてしまいます。

都内で不動産業を営む加藤さんという私の知り合いはその一人で、
ミスをされてしまったことに怒ってもしょうがない」と言います。
この間、ランチで加藤さんとひとしきりこの話題で盛り上がったので、
まとめて紹介します。

―よく怒らないですね。

「相手を怒鳴りつけると、時間がぐるぐるっと戻って、
ミスがなかったことになるっていうなら、私も怒ります」

「だけどそんなことはない。ミスはミスでもう過去の事です。
大切なのは、ミスが起きてしまった状態である現在から、
この先『どうリカバリしていくか』なんですよね」

―それは理屈ではわかりますが、一言いってやりたいじゃないですか。

「ミスをしてしまった側にしても、真摯に反省している様子なら、
過度に責めるべきではなくて、
むしろ一緒にリカバリに励んでもらうのが、私のやり方です」

「怒るだけ怒りつけたところで、自分は多少すっきりするかもしれませんが、
相手はどうでしょうか? 気持ちが腐ったり、すねたりして、
パフォーマンスが下がる危険があると思うんです」

―あー。いますね。ミスしたのに逆ギレしちゃう人。

「でしょ。こっちは既にミスされてマイナス状態にあるのに、
さらにパフォーマンス落とされたら、嫌じゃないですか。
ミスを帳消しにするために必死になってもらわないとw」

―そうかあ。そんな風に考えたことなかったなぁ。
加藤さん、人間ができてますね。

「人間できてないない。まるで逆。私、ずるいんですよね。
こっちの目的は、仕事をきちんとこなしてもらう点にあるので、
相手を怒って、結局グズグズされてしまうか、
ここは怒らずに恩義を売ってきちんとリカバリしてもらうか、
となれば、私は恩義を売る方を選択します」

―あ、許してるわけじゃないんですね。

「許してはいないですよw きっちりミスの代償を払ってもらう
取り立て人のような思考法によって怒らないことにしているだけです。
だから、相手が人間的にだらしがないという理由でミスを犯した場合、
リカバリの機会こそ与えますが、次の仕事は頼みませんw」

―結構、恐いですw

「恐いですかね? ミスを認めないわけではないですよ。
私自身、ポラさんもを含め人間誰でも間違いありますから。
だからこそ、何をそこから学んで次に生かすかというのが
大事なんじゃないですかね」



雑談ランチの途中から、一方的なインタビューになってしまいましたが、
とても楽しかったです。加藤さんと話していて気が付いたのは、
加藤さんが「鳥の目」というか「物事を俯瞰する見方」をしている点です。

相手のミスに対して、「怒る」というのは、
所詮相手と自分が同じ目線でのやりとりなんですよね。
いろいろ勉強になりました。



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おはようございます。東北地方、だいぶ寒くなって参りました。







さて、今日は集客のお話です。ECサイトでもブログでも訪問者を増やすには、読み手にとって、なにかしらの「有益性」が必要です。そのサイトにいけば「お得」「便利」「役立つ」と訪問者が思ってくれない限り、滞在時間は増えませんし、リピート率も低くなります。

よく「アフィリエイトは9割が儲からない」などと言われますが、平凡なサラリーマンが日々思ったことをつづっていきます的な「日記」にコードを貼り付けているぐらいでは、読者にはまったく「有益性」がないので、訪問者も少なく、当然、アフィリエイトもうまくいかないだろう、というのは想像に難くありません。本当につらつらと思ったことを書いているだけで人が集まるのは「芸能人」「各種業界アナリスト」などの著名人だけですw

訪問者を増やしたいのであれば、特技や趣味、情報収集力、文章力、発想、着眼点など、世間一般レベルより上を行く「何か」が絶対必要です。集客がうまくでき、リピーターも多い人気サイトはやはり「優れた何か」を持っています。

「他人より優れていることなんて何もないよ」という方もいますが、そんなことはありません。体験談や失敗談でも十分です。訪問者が少なくてモチベーションが上がらないという方はぜひそのサイトをもう一度見直して「読む価値がある」かどうかを自己分析してみることをおすすめします。

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「集客できない」と悩むクライアント様から泣きつかれ「ペラサイト」を作ることがあります。そりゃクライアント様からのご依頼なので、全精力を傾けて作ることは作ります。「いただく料金以上のパフォーマンスを尽くす」というのが私のモットーなので、やるときは心底、徹底してやりますw

ですが、あくまで「ペラサイト」は本当に「一時しのぎ」であって、永続させるべきものではないことはお伝えするようにしています。クライアント様からは「余計なことは言わないでいい」とも言われたりもしますが、有益性に乏しいサイトをこしらえることに、どうしても良心の呵責」があることだけはアピールしています。

確かにニーズがある分野であれば、「ペラサイト」も有効です。そしてごく稀に、長期間に渡って稼ぎを挙げ続ける「ペラ」もあることはあります。ですが、所詮「ペラ」です。そりゃアクセスが万単位であれば、誰かは購入してくれるかもしれません。でも、購入すればそれきり、終わりです。

リアルなビジネスで考えてもらうと、多くのクライアント様には納得していただけるのですが、

「道端で商品を売っている怪しい人からモノを買いますか?」

というのは、どうか心に留めておいていただきたいのです。ペラサイトはその程度の代物です。

リアルショップでもネットショップでも、お客様との商売は「信頼」がベースです。そして信頼は質と量によって少しずつ培われるものですので、その対極に位置する「ペラサイト」には、どうもネガティブな印象を持ってしまいます。

ですから、「ペラサイト」とは逆に、「有益なコンテンツを拡充して、そこから得た顧客にメルマガを配信してていきたい」というようなお仕事には尻尾を振って参加させていただいています。

多少こちらの取り分が少なくても充実感といいますか、満足度といいますか、仲間に加えていただくことでのうれしさは半端ではありません。とにかく「私の情報が世の中の役に立つかもしれない」という気持ちはとてもすがすがしいものです。

こうした形での情報提供には共通していえるのですが、「商品を売る」というのはステップのひとつに過ぎず、実は売り手からご提案しているのは「商品を使っていただくことで、あなたのライフスタイルはこんなに素敵になる」という、もう一歩先のカタチだと思います。

「ペラサイト」を否定はしません。ですが、どうしても常時量産していく必要があり、そこには「限界」があるように思います。

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子どものころから長年お世話になっているアイテムのひとつに「アラジンのストーブ」があります。1930年代に米企業と英起業家によって発売されて以来、80年の伝統を誇る逸品のストーブです。



日本では「ブルーフレームヒーター」のシリーズが有名で、私の家にも、幼少時にこのタイプを父親が買ってきました。

当時は祖母から「こんな贅沢品」と誹られた父でしたが、今も現役で頑張ってくれており、実はこっちの方がトータルコストは遙かに安いんですね。

「全自動」とは真逆のアナログストーブなのですが、なんといってもデザインが秀逸!! 

洗練されつくした機能美

という感じで、和室でも洋室でも不思議としっくりくるフォルムには脱帽です(公式サイトに使用例の写真がいくつか紹介されていますが、どれも素晴らしくマッチしています)。

本当、アラジンのストーブに惚れてしまうと、石油ファンヒーターの「ごろっとした箱」の野暮ったさには耐えられませんw 

余談になりますが、電気を一切使わないので、震災の時の停電でも大活躍でした。結構、灯油を食うのと部屋全体が暖まるまで時間が掛かるというのが難点ですが、ストーブの窓から見える青い炎には心まで暖まる感じでした。



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クライアントさん回りをしていて最近思うのですが、みんなギスギスしていて、とても疲れています。一生懸命やっているのに「余裕」がなく、当然「笑い」も少ないです。極度のストレス社会と呼ばれるのも当然かもしれません。誰からも突っ込まれないようにと、押し並べて、びくびくしています

背景には「効率・成果第一主義」があると思うのですが、そこに「寛容さ」が感じられないのが、この社会を不幸にしている気がしてなりません。もっと、あらゆる分野で個々人それぞれの「あるがまま」「自然体」を受け入れられるだけ度量が乏しい気がしますが、難しいんでしょうかね…いろいろ。



  • 仕事の遅い人でも「あるがまま」に(いいから、後は誰かやっとくから!)

  • 勉強できない子も「あるがまま」に(勉強以外もいろいろ楽しいことあるよ!)

  • 子どもも「あるがまま」に(親が無理矢理コントロールしなくても育つって!)

  • 不細工でも「あるがま」に(整形なんかすんなよ!)

  • おじいちゃん、おばあちゃんも「あるがまま」に(大丈夫!社会のお荷物とかじゃないから!)

  • 学生も、サラリーマンも、主婦も「あるがまま」に(世間は世間。あなたはあなた!)


東北在住だから強く感じるのかもしれませんが、東日本大震災では人間の作り出した様々な「叡智」が破壊され、否定されました。ここで原発の是非や、自然との調和云々を語るつもりはありませんが、いろいろ人間都合で便利にしていっても「限界」があるのだなと痛感したことは確かです。

震災発生直後は「死」が身近でした。現在に至る日本社会が戦後60年超、徹底的に目を背けてきた死が眼前にありました。「自分が死ぬことがなんら不思議じゃない、死ぬことって生きているものにとっての『あるがまま』なんだね」という観点に立ったとき、いろいろなしがらみがスーッと抜け落ちていったのを覚えています。









戦後60年超といいましたが、これは「都市」「都会」を作ってきた過程とも重なります。そもそも都市って便利で、とても快適ですが「あるがまま」ではありませんよね。「都市」「都会」は結局のところ、不便なもの、効率の悪いものを「排除」「改造」していくことで産み出されてきたものです。そこが、効率・成果とも相まって、不便や不快を受忍する「 寛容 さ」「おおらかさ」「余裕」までも殺してしまったのではないのか、と。

私はずばり
「役に立たない物・者の存在を認めることこそ文明・文化の度量だ
と思います。その点で今の日本は狭量です。賢くないと生きていけない、とても窮屈な社会です。幼稚園、学校、勤め先、町内会、子供会、ママ友、婦人会、老人クラブ……そして家庭…。みんなが排除を恐れています。四六時中スキを作らないように生きているんですから、それはそれはストレスになります。

生まれ持ったカタチが「あるがまま」で居られる―。シンプル発想で突き詰めていくと、コア(核心)はここにあります。自分は自分、他人は他人、無理矢理あわせる必要はありません。周囲もまた、排除したり、不必要に仲間はずれにしたりしないで、ゆったりと余裕を持って暖かく、「うんうん、そういう人もいるよね。でも居てもらっても別にいいじゃん」ぐらいで笑って暮らせる―そんなカタチが素敵です。




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プロフィール
HN:
ポラリス
性別:
男性
職業:
シスアドっぽいこと
自己紹介:
心掛けているのは、ざっくり「理解」と見える化。
物事にはその時その時で「コア(一番大切な事)」があるはず。コアを探しの実践者、別名「コアラー」です。コーラも好きです。
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